BRAND
Journalvol.03

「英国の品格」が

日本に根を下ろすまで

未来へとつなぐために

かつては古豪・イングランド代表にユニフォームを提供するなど、世界のスポーツ界に向けて影響力を発揮してきたAdmiralが初めて日本にやって来た時、この東洋の島国には、サッカーのプロリーグすら存在していなかった。それからおよそ50年。今なお受け継がれる「ひとりでも多くの人に伝統のブランドを知って欲しい」という、Admiralスタッフの熱い思いの源流をたどる。

1977年、日本における

Admiralの販売がスタート

英国で誕生したAdmiralという歴史あるブランドが、当時まだサッカー「不毛の地」であった日本に降り立ったのは、1970年代終盤のこと。体操着やジャージを製造販売する企業「キャピタル工業」が、ライセンスを取得したのがそもそもの始まりだった。
 
Jリーグがスタートする16年前のこと。インターネットや衛星放送など影も形もなく、海外のサッカー事情を日本に伝えてくれるのはサッカー専門誌か、週に一度放映されていた「三菱ダイヤモンドサッカー」というTV番組しかなかった時代である。既に創業以来数十年を経て、欧州では高い認知度を誇っていたAdmiralではあったが、日本においては全くの無名。キャピタル工業の面々は、サッカーの母国、イングランドが生んだブランドを、ひとりでも多くのサッカー少年に知ってもらおうと奔走した。

子どもたちが憧れるブランドに。

強豪校が着用し、知名度アップ。

プロリーグのない当時の日本で、トップカテゴリである実業団リーグ以上の注目度を獲得していたのは、高校サッカーだった。冬の高校選手権の決勝ともなると、実業団のリーグ戦よりもはるかに多くの観客が詰めかける。地元の期待を背負い、サッカー少年たちからの憧れの視線を背にプレーする高校生のスターたちがいる。彼らにAdmiralを着てもらおう。それがAdmiralを日本に広めるための「戦略」だった。
 
営業スタッフは全国の学校を巡り、多くの大会に足を運び、Admiralをチームのユニフォームとして採用してもらうよう働きかけを続けた。全参加校の名前が入ったAdmiralの大会記念ユニフォームを製作し、高校選手権の会場で販売したこともあった。努力の甲斐あって、Admiralのユニフォームを選ぶ高校チームは少しずつ増え始める。国体選抜や少年サッカーチームのユニフォームとしても採用されるようになった。80年代には高校選手権出場校の内、7校がAdmiralを着用したという記録も残っている。1988年には千葉県の名門、市立船橋高校がAdmiralのユニフォームを着て高校総体優勝、高校選手権準優勝という輝かしい実績を残している。

シャドーストライプの衝撃。

斬新なデザインで旋風を巻き起こす。

 英国生まれらしい、シンプルで無骨、かつ上品な印象が当時のAdmiralのイメージ。広く浸透していた国内メーカーや、既に知名度の高かった海外メーカーとはひと味違ったテイストを踏襲しながら、Admiralは躍進を続けた。
 
生地の表面に薄っすらと影のような縦縞をあしらった「シャドーストライプ」を日本で初めて採用したのはAdmiralだった。伝統を重んじるブランドが生み出したスタイリッシュなデザインは、当時のサッカー界に衝撃をもたらした。その後に登場した、ストライプを三角形の模様に発展させた「ピラミッドシャドー」もまた人気を博した。
 
高校選手権などの名だたる大会を視察し、「何がカッコイイのか」「どんな着こなしがトレンドなのか」といった情報を集め、それを翌シーズンモデルのデザインに落とし込む。その繰り返しが、日本におけるAdmiralの存在感を確かなものにしていったのは間違いない。

その遺伝子を、未来へつないでいくために

Related articles